FMDとは?― 偶然の発見からノーベル賞へ、血管の「機能」を見る検査の誕生物語
血圧は正常。コレステロールも基準値内。健康診断ではいつも「異常なし」。 それなのに、ある日突然、心筋梗塞で倒れる人がいる——これは決して珍しいことではありません。
12万人以上の冠動脈疾患患者を分析した大規模研究によれば、患者の10〜15%は高血圧・高脂血症・糖尿病・喫煙という従来の4大リスク因子をいずれも持っていませんでした1。つまり、「数値上は健康」でも心筋梗塞を起こしうるのです。
なぜでしょうか?
その答えの一つが、従来の検査では見えなかった 血管の「機能」 にあります。血管が詰まっているか(構造)だけではなく、血管の内側を覆う細胞がきちんと働いているか(機能)——この「目に見えない健康度」を数値化する検査が、FMD(Flow-Mediated Dilation:血流依存性血管拡張反応) です。
しかし、この検査が生まれるまでには、150年以上にわたる科学のドラマがありました。心臓の薬「ニトログリセリン」の謎、実験室で起きた偶然の発見、そして1998年のノーベル賞。
今回は、FMDという検査がどのような歴史的経緯で誕生したのかを辿る旅に出かけましょう。
1. ニトログリセリンの謎 ― 150年の「なぜ効くのか」
爆薬と心臓の奇妙な関係
1847年、イタリアの化学者 アスカニオ・ソブレロ が、ニトログリセリンという物質を合成しました。この物質は、衝撃を与えると爆発する危険な液体でした。
やがてニトログリセリンはダイナマイトの原料として世界を変えることになりますが、医学の面でも不思議な発見がありました。ダイナマイト工場の作業員たちが、月曜日の朝に決まって激しい頭痛に襲われるのに、働き続けると頭痛が治まる、という現象が報告されていたのです。
これは、ニトログリセリンの蒸気を吸い込むことで脳の血管が急激に拡張し、周囲の痛覚神経が引き伸ばされて頭痛が起きていたのでした。しかし、毎日曝露され続けると体がその刺激に適応し(薬理学的耐性)、血管の過度な拡張反応が弱まるため頭痛は治まります。ところが週末に工場を離れると耐性がリセットされ、月曜の朝に再び激しい頭痛が起きる——これが産業医学で 「月曜病(Monday disease)」 として知られる現象です。
この「血管を広げる作用」に注目した医師たちは、19世紀後半から、狭心症(心臓の血管が狭くなって起きる胸の痛み)の治療薬としてニトログリセリンを使い始めました。舌の下に小さな錠剤を入れると、数分で胸の痛みが和らぐ。劇的な効果でした。
ノーベルのアイロニー
ここに歴史的なアイロニーがあります。
ダイナマイトの発明で巨万の富を得た アルフレッド・ノーベル 自身が、晩年に狭心症を患いました。医師はニトログリセリンを処方しましたが、ノーベルは友人への手紙の中でこう書いています。
「なんという皮肉だろう。私は爆薬としてニトログリセリンを扱ってきたのに、今度は薬として飲めと言われている」
ノーベルは結果的にその薬を拒否したとも伝えられています。
「効く」けれど「なぜ効くか」がわからない
ニトログリセリンが心臓の薬として広く使われるようになっても、なぜこの爆薬が血管を広げるのか、その仕組みは100年以上にわたって謎のままでした。
この謎に最初の突破口を開いたのが、アメリカの薬理学者 フェリッド・ムラド です。
1977年、ムラドはニトログリセリンが体内で 一酸化窒素(NO: Nitric Oxide) という気体を放出し、このNOが サイクリックGMP(cGMP) という細胞内のシグナル物質を増やすことで、血管の平滑筋を弛緩(ゆるめる)させることを突き止めました2。
ニトログリセリン → NO → cGMP → 血管弛緩
この経路の発見により、150年間の謎に初めて化学的な説明が与えられたのです。
しかし、ここで新たな疑問が生まれました。「薬から放出されるNOが血管を広げるなら、もしかして 体の中にもNOを作る仕組みがあるのではないか?」
2. 偶然が生んだ革命 ― ファーチゴットとEDRFの発見(1980年)
ウサギの大動脈と「失敗」した実験
この疑問に、思いがけない形で答えを出したのが、ニューヨーク州立大学の薬理学者 ロバート・F・ファーチゴット でした。
ファーチゴットは何年もの間、ウサギの大動脈から切り出した血管片を使って、薬物の反応を調べる実験を続けていました。その実験では、血管片の内側(内腔面)を指やスティックで軽く擦って、内皮細胞を取り除くことが標準的な手順でした。当時、内皮細胞は血管の「壁紙」のようなもので、特に重要な機能はないと考えられていたからです。
ところが、ある時から実験結果がおかしくなりました。
アセチルコリン(神経伝達物質の一種)を血管片に加えると、本来は血管が弛緩(広がる)するはずなのに、ある時は弛緩し、ある時は収縮する——結果がまったく一致しないのです。
多くの研究者なら「実験の失敗」として片付けたかもしれません。しかし、ファーチゴットの目は違う何かを見ていました。
「内皮」がカギだった
丁寧に条件を検証していく中で、ファーチゴットはある法則に気づきました。
- 内皮を 丁寧に残した 血管片 → アセチルコリンで 弛緩する
- 内皮を 擦り取ってしまった 血管片 → アセチルコリンで 弛緩しない
「壁紙」だと思っていた内皮細胞こそが、血管を広げる反応を引き起こしている主役だったのです。
サンドイッチ実験 ― 「何か」が内皮から放出されている
1980年、ファーチゴットは同僚の ジョン・ザワツキ とともに、この仮説を証明する巧みな実験を行いました3。
内皮が付いたままの血管片を、内皮を取り除いた別の血管片の上に重ねて「サンドイッチ」にします。この状態でアセチルコリンを加えると、内皮のない下の血管片までもが弛緩したのです。
これは、内皮細胞から 何らかの「拡散性の因子」が放出され、それが隣の血管の筋肉を直接ゆるめていることを意味していました。
ファーチゴットはこの未知の因子を 「EDRF(Endothelium-Derived Relaxing Factor:内皮由来弛緩因子)」 と名付けました。
血管の「壁紙」は、実は血管の健康を守る最も重要な臓器だった——この発見は、血管生物学の歴史を根底から書き換えることになります。
3. 「犯人」の正体 ― EDRFは一酸化窒素(NO)だった
7年間の捜査
ファーチゴットがEDRFを発見した後、世界中の研究者が「この因子の正体は何か」という謎に挑みました。しかし、EDRFは放出されてから数秒で分解してしまうため、直接捕まえて分析することが極めて困難でした。
イグナロの決定的証拠
1986年から1987年にかけて、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の薬理学者 ルイス・J・イグナロ が決定的な証拠を突きつけました4。
イグナロは、EDRFと一酸化窒素(NO)の化学的性質を徹底的に比較しました。
- 両者は同じように ヘモグロビンで不活性化 される
- 両者は同じように スーパーオキシド(活性酸素の一種)で分解 される
- 両者は同じように サイクリックGMP(cGMP)を増加 させる
- 両者は同じ 半減期(数秒) を持つ
あらゆる化学的特性が完全に一致しました。
EDRFの正体は、一酸化窒素(NO)だったのです。
なお、イギリスの薬理学者 サルバドール・モンカダ も独自にEDRF = NOの同定に到達し、この分野に大きく貢献しました。モンカダはノーベル賞こそ逃しましたが、NO研究の歴史においてその名は欠かすことができません。
毒ガスが体を守る? ― 常識を覆した逆説
この発見が科学界に衝撃を与えた理由は、NOという分子の「正体」にありました。
一酸化窒素(NO)は、自動車の排気ガスや工場の排煙に含まれる 大気汚染物質・毒性ガス として知られていた分子でした。それが、人間の体内で最も重要な血管保護分子として働いていたのです。
しかも、NOの役割は血管を広げるだけにとどまりませんでした。
- 血管を広げる(血圧を下げる)
- 血小板の凝集を抑える(血栓を防ぐ)
- 炎症を抑制する(動脈硬化を防ぐ)
- 血管壁の異常増殖を抑える(狭窄を防ぐ)
NOは、血管の健康を多面的に守る「マスターキー」だったのです。
4. 1998年ノーベル生理学・医学賞 ― 3人の受賞者
独立した研究が描いた一つの絵
1998年、スウェーデンのカロリンスカ研究所は、ノーベル生理学・医学賞を 「心血管系におけるシグナル伝達分子としての一酸化窒素に関する発見」 に対して授与すると発表しました5。
受賞したのは、3人の独立した研究を行ったアメリカの科学者たちでした。
| 受賞者 | 主な貢献 | 年代 |
|---|---|---|
| フェリッド・ムラド | ニトログリセリンがNOを放出し、cGMPを介して血管を弛緩させることを発見 | 1977年 |
| ロバート・F・ファーチゴット | 血管内皮細胞が「EDRF(内皮由来弛緩因子)」を放出して血管を弛緩させることを発見 | 1980年 |
| ルイス・J・イグナロ | EDRFの正体がNO(一酸化窒素)であることを同定 | 1986-87年 |
3人の研究はそれぞれ独立して行われていましたが、振り返ってみると、一つの壮大なストーリーを形作っていました。
- ムラドが「薬(ニトログリセリン)はNOを通じて血管を広げる」ことを示し
- ファーチゴットが「体の中にも血管を広げる因子(EDRF)がある」ことを発見し
- イグナロが「その因子こそNOである」と証明した
外から入れる薬も、体の中で作られる因子も、同じNOという分子を介して血管を守っていたのです。
NOが生んだ意外な「副産物」
NO研究は、心臓の薬だけでなく、思いもよらない分野に革命をもたらしました。
ファイザー社が開発したシルデナフィル(商品名:バイアグラ)は、もともと狭心症の治療薬として開発されていましたが、臨床試験中に「勃起を促す」という副作用が発見されました。これは、NOによって増加したcGMPの分解を阻害する(PDE5阻害薬)ことで、陰茎の血管を拡張させる作用でした。
この薬の誕生も、ムラドが発見したNO → cGMP経路なしにはあり得ませんでした。
5. 「見えない健康」を見る方法 ― FMD検査の誕生(1992年)
NO研究から臨床検査へ
ファーチゴットらの発見により、血管内皮細胞がNOを産生して血管を広げるという仕組みが明らかになりました。すると、次の重要な疑問が生まれます。
「この仕組みが、生きた人間の中で正常に働いているかどうかを、体を傷つけずに確かめることはできないか?」
1992年、オーストラリアの循環器内科医 デイヴィッド・セレルマイヤー らは、この問いに対する画期的な答えをLancet誌に発表しました6。
それが FMD(Flow-Mediated Dilation:血流依存性血管拡張反応) 検査です。
FMD検査の仕組み ― 血管に「試験」を受けさせる
FMD検査の原理は、意外なほどシンプルです。
ステップ1:安静時の計測 まず、超音波(エコー)で上腕動脈(二の腕の内側にある動脈)の太さを正確に計測します。これが「試験前」の基準値です。
ステップ2:血流を一時的に止める 次に、前腕(肘から手首の間)に血圧計のカフを巻き、5分間圧迫して血流を遮断します。血管の下流は一時的に「酸素不足」の状態になります。
ステップ3:血流を一気に再開させる 5分後、カフを急に解放します。すると、堰を切ったように大量の血液が一気に流れ込みます。この急激な血流が血管の内壁を強く擦り、「ずり応力(シェアストレス)」 が発生します。
ステップ4:内皮の「成績」を見る 健康な血管内皮細胞は、このずり応力を感知するとNOを放出し、血管を広げます。超音波で血管径の変化を計測し、安静時からの拡張率(%FMD)として数値化します。
一般的に、健康な成人では6%以上の拡張が目安とされ、加齢や動脈硬化リスクが進むにつれて値が低下していきます。
FMD検査は、いわば血管内皮細胞に「ちゃんとNOを作れますか?」という「実技試験」を受けさせ、その成績を数値で返してくれる検査なのです。
6. FMDの臨床的意義と限界
FMDでわかること ― 「形」の変化の前に「機能」を見る
FMD検査の最大の意義は、動脈硬化のプラーク(脂肪の塊)や血管の狭窄がCTやMRIで見えるようになる 「前の段階」 で、血管のコンディションを評価できる点にあります。
- 動脈硬化の早期リスク評価:構造的な変化が起きる前の「機能障害」を捉える
- 生活習慣改善の効果判定:運動・食事改善・禁煙などの介入がFMDを改善させるかを追跡できる
- 心血管イベント予測:FMD値が低い集団は、将来の心筋梗塞や脳卒中のリスクが高いことが疫学研究で示されている7
FMDの限界と注意点
一方で、FMD検査にはいくつかの重要な限界もあります。
検査者の技術への依存 超音波プローブの角度や位置のわずかなずれが、測定値に大きな影響を与えます。熟練した検査者による標準化された手技が不可欠です。2002年にCorrettiらが8、2019年にはThijssenらが9、それぞれFMD測定の標準化ガイドラインを発表し、手技の統一が図られてきました。
環境因子の影響 食事(特にカフェインや高脂肪食)、喫煙、運動、室温、測定時間帯などが測定値に影響します。正確な結果を得るためには、早朝空腹時・安静状態での測定が推奨されます。
正常値のコンセンサス 「何%以上なら正常」という国際的に統一された基準値は、まだ確立の途上にあります。年齢、性別、人種によって値が異なるため、個人の経時的な変化(トレンド)を追うことが臨床的に重要です。
日本での普及 かつては高度な技術を要する研究レベルの検査でしたが、日本では ユネクス社 が開発した専用超音波装置「UNEXEF」の登場により、自動解析による標準化が進みました。現在では大学病院だけでなく、一般の循環器クリニックや人間ドックでも実施可能な施設が増えています。
まとめ:ニトログリセリンの謎からFMDへ ― 「見えない健康」を見る時代
この記事で辿った旅を振り返ってみましょう。
- 1847年:ニトログリセリンが合成されるが、「なぜ血管を広げるか」は150年間の謎だった
- 1977年:ムラドがニトログリセリン → NO → cGMPの経路を発見
- 1980年:ファーチゴットが「偶然の失敗」から、内皮細胞が弛緩因子(EDRF)を放出することを発見
- 1986-87年:イグナロがEDRFの正体 = NOであることを証明
- 1992年:セレルマイヤーがNOの機能を非侵襲的に評価するFMD検査を開発
- 1998年:ファーチゴット、イグナロ、ムラドがノーベル生理学・医学賞を受賞
爆薬の成分の謎から始まり、「失敗した実験」への鋭い観察眼、毒ガスの正体が実は生命を守る分子だったという逆説——科学のドラマは、常に予想を裏切る形で進みます。
そしてこの壮大な発見の歴史が、今日、私たちの腕に超音波プローブを当てて血管の「健康度」を数値として知ることができるFMD検査という形で、臨床の現場に届いています。
「見た目」には何の異常もない血管に、すでに「機能の衰え」が始まっているかもしれない。FMDは、そうした「見えない未来のリスク」を知るための、現代医学が手にした一つの窓なのです。
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参考文献
Khot UN, Khot MB, Bajzer CT, et al. Prevalence of conventional risk factors in patients with coronary heart disease. JAMA. 2003;290(7):898-904. DOI: 10.1001/jama.290.7.898 — 12万人超の冠動脈疾患患者を分析し、10〜15%が従来の4大リスク因子(高血圧・高脂血症・糖尿病・喫煙)をいずれも持たなかったことを示した大規模研究。 ↩︎
Murad F. Cyclic guanosine monophosphate as a mediator of vasodilation. J Clin Invest. 1986;78(1):1-5. DOI: 10.1172/JCI112536 — ニトログリセリンがNOを介してcGMPを増加させ、血管弛緩を引き起こす経路を解明した総説。ムラドの研究の集大成。 ↩︎
Furchgott RF, Zawadzki JV. The obligatory role of endothelial cells in the relaxation of arterial smooth muscle by acetylcholine. Nature. 1980;288(5789):373-376. DOI: 10.1038/288373a0 — 血管内皮細胞が弛緩因子(EDRF)を放出することを発見した歴史的論文。サンドイッチ実験を含む。 ↩︎
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Corretti MC, Anderson TJ, Benjamin EJ, et al. Guidelines for the ultrasound assessment of endothelial-dependent flow-mediated vasodilation of the brachial artery. J Am Coll Cardiol. 2002;39(2):257-265. DOI: 10.1016/S0735-1097(01)01746-6 — FMD測定法の標準化を目指した最初の国際ガイドライン。 ↩︎
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